2016年10月3日月曜日

【戦犯というダマシ】~戦犯とは敗戦責任者に非ず~

我々日本人はこの戦犯という言葉をどのように理解しているのだろうか?
スポーツ紙などは敗戦の原因となった人物を表す言葉として用い、スポーツに限らず他の分野においても失敗の原因となった人物の指摘に用いている。この事実は戦犯というキーワードをニュースカテゴリーで検索すれば一目瞭然だ。
このように、書くことを職業としているマスコミ人が日常的に用いているということは、読者層も含めて、これが共通認識にされているという証左に他ならない。

戦犯とは本来戦時国際法に違反した者という意味だ。断じて敗戦責任者ではない。wikipediaによると「比喩」とのことだが、何の比喩だ、明らかな意図的誤用である。
ところが靖国A級戦犯合祀の論争となると「敗戦責任者を祀るのはけしからん」と言う方が現れる。確かに石原慎太郎氏の発言などを見ると、少なからずそういう認識を持たれてる方がいるのも事実だ。これは上記のようなマスコミの誤用が続いているのも無関係ではあるまい。
敗戦責任については、我が民族として必ずや決着しなければならない問題ではあるが、過去一度も検証されたことがなく、戦勝国による報復裁判の被告とは全く別問題である。

A級戦犯合祀を問題視するのはヤミクモに反対する反日勢力だけでなく、敗戦責任者に批判的な方々も多く、近現代史を教えられていない戦後世代もそれらの影響を受けて、意味も分からず悪印象だけ刷り込まれている。
GHQの目論見に反して、敗戦の怨嗟を天皇に向けることもなかった国民が、それを敗戦責任者に向けたのか。戦犯という罪状を断固否定した東條英機氏が、自らの敗戦責任については強く主張されたのが発端なのか。東條氏の主張からも明白なように、戦犯と敗戦責任は全くの別問題であるにも関わらず、この混同に乗じた反日マスコミは戦後一貫誤用を続け改めようともしない。このような誤用を些細なことと看過せず断固指摘すべき。今まで誤認されていた方にはぜひ認識を改めていただきたい。

そもそも戦犯という罪状は昭和27年主権回復直後に完全かつ最終的に消滅しており、議論の争点にさえ成り得ない。マスコミの意図的誤用に操られた国民の誤解によって生きながらえてきたとも言える。余計なことを付け加えれば「敗戦責任者」ということであれば議論の余地もあるのだろうが。
石原氏のように個人的判断での敗戦責任者を責める方々があったとしても「戦犯とは敗戦責任者に非ず」という常識が周知されれば、不毛な合祀論争にも終止符が打たれ、戦後レジームからの脱却が一歩進むものと期待している。

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